「危険な17歳」
この言葉を聞いたことのない人はほとんどいないのではないだろうか?
そう、ついちょっと前までいろいろな雑誌やワイドショーのタイトルなどに載っていた言葉だ。
それより前は「暴走する15歳」とか「凶暴性を増していく子供達」とかいうのもあった。そしてそれにあわせ、「ゆとりのない子供達」。「教育にゆとりを!!」という文字もよく目にしていた。
まあこれらが書かれた原因はそのとき起きていた、凶悪な少年犯罪が原因だったのだが。。。
なぜだか分からないけど、最初に有名になった子の年齢から年がたつにつれ、有名な少年犯罪を起こした人の年齢が徐々に上がったいったことに気がついた人はいなかっただろうか?
この年齢が上がっていった原因は不明だが、丁度今の19〜16歳あたりの年齢の子はもろにその風当たりをうけていた。
もちろん私もその年代のうちの一人だったので、かなりいろいろなことが自分の身の回りで起きた。
そのとき、友達といろいろ話していたことによると。
まず、親が自分の部屋をチョクチョク覗きに来るようになった。
子供を「心配して」じゃなく、どうも「不安で」見に来てる感じがして子供心に結構嫌な思いをした。
また、いろいろなところで「今の子供は信頼できませんからね」と言う言葉を聞き、学校などでは「現在自分の身の回りで起きている問題について」という「匿名アンケート」で、「現在クラスの輪から外れている友達はいるか?」ということを聞かれたりした。
しかもこれが一時で終わればいいのだけれど、丁度自分たちが生長していくに連れ次々とその年代の人が事件を起こしていくという感じだったので、私の場合中学校時代はこんな状態がずーっと続いていた。
正直言ってこんな扱いをうけていたら子供が大人を信じられなくなるのは当然のことだと思う。
よく何かの評論家が、いろんな番組で「学校教育の問題点」「もっと子供にゆとりを!!」とか言っているが、大人が焦って子供の機嫌を取っているより、親や学校自身がもっと力を抜いて信頼して子供に接していったほうがいいのではないかと思う。
とにかく明らかに信用されてないっていうのは、子供にとってかなりつらいことなのだ。
確かにいろんなことに切羽詰っている子供より、のびのびとした環境で育った子供の方がいいというのは正論だろう。
しかし、今1番社会の中心になっている大人たちが「ゆとり」を持っていなければ、次の世代の子供達にとっては「ゆとり」のあるいい環境とは言えない気がする。
政府やいろんな団体の皆さん。
とりあえず「週休二日制」は結構嬉しいのですが、もうちょっと子供以外にもゆとりを持てるような国づくりをしてあげてください。
正直、あんな接し方をされて育てられてきたら、誰でも事件起こしたくなります。
でも今の状況だと、景気がどうにかならない限りみんな「ゆとり」なんて持てないんだろうなぁ。
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